My Story
My story

マイストーリー

天見 心のマイストーリーです。
ちょっと長いですが、
私が生まれて施術家を目指すことになった歴史です。
お読みいただけたら嬉しいです

天見 心のマイストーリーです。
ちょっと長いですが、
私が生まれて施術家を
目指すことになった歴史です。
お読みいただけたら嬉しいです

① 赤ちゃんのころ 股関節脱臼で「このままでは歩けなくなっても良いのですか?」

私は、赤ちゃん(おそらく1歳くらい?)のころ 股関節脱臼だったそうです。 その時、全盲のマッサージの先生が毎日家に通って治してくれました。 でも、毎日のことで治療費が嵩み、両親が「これ以上続けることは難しい」とお断りしたのですが、「この子が将来歩けなくても良いのですか?」と仰ったそうです。

両親は、「そんな状態とは。。」と、はっと気が付いて続けてくれたそうです。先生は、どんな日も通って、雨の日は転んで傷だらけになっても休むことなく続けてくださいました。改めて考えると(記憶がないので思い出すことはできないのですが)本当に涙が出ます。

もしかしたら、全盲の先生の治療がなければ私は歩けなかったかも知れない。。この話は、私がかなり大きくなった中学生のころに母が話してくれました。今、こうして何の不自由なく生活でき仕事ができることに感謝しております。

② カラダが弱いって、、、人にはわかってもらえない辛さ

赤ちゃんのころの股関節脱臼は治って見た目は元気そう。でも、私はカラダが弱かったし、とても疲れやすかったのです。

残念ながら、それは母にも理解してもらえませんでした。だから疲れてぼーっと(本人は考え事だと思う。。笑)していると「また、怠けてる」と叱られました。小学校6年生くらいでアレルギー性鼻炎の症状も出てますますぼーっ、このころの私は小学校の月に一度くらいは熱を出していました。

大掃除をすると、くしゃみと鼻水、涙が止まらない。。。辛い。今思えば、カラダもいつもだるく疲れやすかったのですね。

③ 私が5歳の時に父が他界して生活が一変

父は、会社(部品を製造)を経営していたので、今考えると結構、裕福な暮らしをしていました。小さいころは「〇〇買ってえ~」とだだをこねなくても買ってもらい、毎月夕食後に家族で行きつけの喫茶店に行きプリンアラモードを食べて付録がいっぱいの本を買ってもらっていました。お寿司屋さんに行ってもカウンターで!甘い卵焼きは食べず(笑)大好きな海老のお寿司(あっ、踊り食いです!!)とか高いネタをいっぱい食べていました。

そのころ、父は会社(工場)を拡張し自宅も新築する予定で、どんな家を建てるか毎週末に家族でドライブを楽しみながら新しい家をイメージしていました。私は「必ずピアノを買って、柿の木がある家(食べたい。。)にしてね!!」と父と約束していました。とても楽しい毎日でした♪

ところが、ある時父は胃潰瘍の手術を受けることになりました。手術をしたみたら胃がんでした。ずいぶん昔のことなので開腹してわかるケースも結構あったようです。入院生活(※取る)と自宅での療養で、父の快復を待っていたのですが。。ある時、朝はいつも新聞を読んでいる父が起きていなかったので私は、「パパ 起きて!」とカラダに触ったら。。冷たかった。。「パパどうして冷たいの? 起きて~」既に私の声も届きませんでした。

後で聞いた話ですが、入院中、父が友人に『このまま命を終えるのは、とても悔しい。死んでも死にきれない。。』と言っていたそうです。
父の葬儀が終わり、母が会社を継ぎました。そこから、家も引っ越しして母と2人きりの生活がはじまり、そこから一変しました。突然のことで会社を切り盛りするのは本当に大変だったと思います。悲しみと苦しみの中で苦労をして頑張りましたが、会社の経営がうまく行かず、結果、会社が乗っ取られる形になってしまいました。もちろんピアノが欲しいなんて言葉に出せる状態ではなくなってしまいました。生活も大変でした。

母は、私をきちんと育てるためにかなり厳しく育てました。心配性だし。とにかく厳しい。私はその厳しさでとても息苦しかった。母の愛情は本当に重たくて逃げだしたいとずっと思っていました。そんなに厳しかった母も他界して10年以上が経ちます。

④ カラダは弱いけど生命力は強い!ヤドカリのヤドが弱いだけ。。

父が亡くなり生活が一変して貧乏な状態で生活でしたが、不思議と私はあまり辛いとか寂しいと感じなかったように思います。きっと守られていたのだと思います。父と過ごしたのはたった5年でしたが、今も父との思い出はたくさん覚えています。

毎年行った大洗海岸、鳩に餌をあげに行った浅草寺、プリンアラモードを食べに行った喫茶店、鬼怒川温泉旅行などなど。思えば、凝縮して父がかわいがってくれたように思います。いっぱい愛情を注いでくれた5年間のおかげ?かどうか私にはよくわかりませんが、私と会う方は小さいころの寂しさを感じないと言われます。

そして、命は相当強いと自負しています。理由はありませんが(笑)あっ、人を鑑定する方にも「相当強い運で相当長生きします」とよく言われるのです。私のカラダ(ヤドカリのヤド)は弱さと、命の強さとヤドの部分のカラダのバランスをとって上手に生きていかなければならないのだといつしか思うようになりました。

だからこそ、会社勤めの次の仕事は健康をお伝えしていく施術の道を選んだのだと思っております。

⑤ 私が社長秘書に!!

ひょっとして、私は定年まで会社勤めをするのかしら?と思っていたので、この決断は私にとって『意外な決断』でした。周囲の人に「転職したことないの?」と聞かれますが、会社では、いろいろな分野の違う仕事に携わることができて転職する必要がなかったからじゃないかな。。

今、こうして施術家として歩んでいても、会社で学んだことがベースとなっていることも多いと感謝しています。

そして、未だに朝9時になると「あっ、朝礼の時間だ。。」と思ってしまうのですよね(笑)会社で携わった大きな仕事は、社長秘書、地域の対外的窓口(県や市、近隣企業間の連携など)、電子書籍端末の開発プロジェクトチーム、新規サービス事業の企画でした。社内でも「そんな多岐にわたる仕事に携われるのは珍しい」とよく言われていました。

確かに異色でしょ?!中でも社長秘書は本当に毎日が学びで本当に充実していました。実は、誰にも話したことはないのですが。。入社した時に「社長秘書になりたい」と密かに思っていたのです。今風に言えば、イメージして潜在意識にしっかり届いた「夢」が実現したということでしょうか♪

秘書の時代は、日々、経営者のそばで強靭な体力、精神力で仕事をこなす超人的な姿を見てきました。事業を左右する大きな決断を迫られ、重要なことは家族にも友人にも口外できずいつも緊張にさらされている状態で「経営者は孤独」であると言われています。

秘書は、超人ボスが最高のコンディションで仕事に臨むための環境づくりが非常に重要であると思います。常に緊張の連続の毎日で、いかにリラックスの時間を作れるか?忘れがちですが。。超人ボスも人間だった!!のです(笑)

⑥ 変な症状ばかりが。。

社長秘書をはじめ、対外的な活動、新製品開発や新規サービスの企画などいろいろな仕事に携わることができたのは大きな財産です。

こうした充実した会社生活を過ごしていましたが、結婚、出産、子育てもあり小さいころからカラダが弱く慢性的な体調不良に悩まされました。病院で検査を受けても分からず、いろいろな施術を試して私の体調の原因ってなんだろう?といつも悩み、考えていました。突然痛みのない血尿、突発性難聴、じんましん、過敏性大腸炎などなど。

そして、こんなこともありました。会社の朝礼で立っている時に感じる左右の脚の長さ。鏡で見るとスカートの丈が左右違う。ファスナーの位置がいつもズレてしまう。どう考えてもおかしい。。。と感じて靴屋さんで測ってもらったら、左右の差が1.8センチでした。

でも、痛みはないのです。病院に行ってレントゲンを撮ると「骨盤きれいですよ!」と言われ痛みがないので様子を見ることになりました。様子を見るということは何の治療もしないということです。誰に相談したら良いかわからずいろいろ調べて、やっと見つけた横浜元町の靴屋さんで歩き方のバランスをみて骨盤をきちんと計測してもらい右側の靴のヒールをカットしたり、インソールの高さを調整して靴を履いていました。私の脚の長さはもう治ることはないと思っていました。

その後、会社を退職して知り合いの紹介でオステオパシーに運命的に出会いました。私のカラダは小さいころの股関節脱臼も関係しているようでカラダの歪みやズレなどから慢性的にカラダがだるい状態だったことが分かり、現在の左右の脚の長さは1センチ(正常範囲)程度に改善し、違和感をあまり感じなくなりました。

このように小さいころからのカラダの経験、会社生活での秘書経験他からの貴重な経験を活かし、多忙な経営者の方にカラダの歪みを整えリラックスできる健康ボディをつくり、日々最高のコンディションで事業の発展・継続するためにお役に立ちたいと思うようになりました。

⑦ 他の人は、もっと元気だよ~!!

私がオステオパシーに出会った最初の先生から「すごいカラダだね。。。よく千葉からここまで(世田谷)に来られたね」と言われました。

出張で施術をしていた先生は「ここにいるメンバーで一番若いのに、カラダがきちんと動いていない状態で一番悪いよ‼ これじゃあ、辛いよね~」

千葉から東京の世田谷は決して近くはないけど、そこまでいくのも大変なカラダだったそうです。私はいつものことなので行って帰ってきて「今日も疲れた~」程度でしたが。

他の人は、そんなにカラダが軽くて行動しやすいのですね。それほど違うとは初めて知ったのでした。

⑧ 怠けていたのではないよ~!!

私の現在の師匠にはじめて施術をしていただいた時に、「剪断(せんだん)だね。カラダの左右半身にズレが生じている状態でだるさもそこから来ていると思うよ」と言われました。

はじめて聞いた剪断(せんだん)という言葉。

私は「だからこんなにだるいのだな~」と、とても納得しました。そして母がとても厳しかったので小さいころから「怠けてると言われた」話をすると、師匠からは「怠けていたわけじゃないよ。本当にだるかったのだと思うよ!よく頑張ってきたね。」と温かい言葉を掛けてくださいました。心の奥が熱くなってふわーと解放されるような気がしました。この言葉に励まされ、無理せずに頑張れるようになりました。

カラダがだるいというのは、例えば、買い物に出かけて帰ってきても買ってきたものを冷蔵庫にしまうのがとても億劫で、すぐに横になりたくなるのですよね。洗濯をしても干す元気がないとか。。。

だから、私は主婦に向いていない怠け者だと思っていました(笑)でも、元気な時は家事もできるから新種の怠け者?気持ちの問題?いやいや~そうじゃなかった。もちろん、今はちゃんとできますよ!!

⑨ 「よく子どもを産めたね~!!」

師匠から言われた言葉です。

私には、1人娘がいます。本当は3人くらい産めればと思ったけれどやっぱり無理でした。姉妹がいない娘には申し訳ないのですが出産も子育ても体力が必要で一人産んで、会社勤めをしていっぱいいっぱいでした。実の母と暮らしていたので保育園の送り迎えや家族の食事の支度はしてもらいました。娘のお弁当は、私が体調を崩しながら働き、一所懸命つくりました。おかずもいっぱい入れました。私にはこれがやっとのことでした。いつも疲れてたくさん遊んであげられなかった。ごめんね。おかげさまで娘は真っ直ぐに育ってくれました。娘に子どもができたら、たくさん応援してあげようと思っています。

師匠に「よく子どもを産めたね~!!偉いよ」と言われ「あ~私、頑張ってたのだな。怠けていたのではなくて。私のカラダ偉かったね♪」と初めて自分のカラダを褒めてあげました。思い出すと涙が止まりません。師匠の言葉は本当に温かくてそしてありがたくて心から感謝しています。

⑩ 今まで、生死に関わる病気や事故はありませんでした。

変な症状には悩まされましたが、生死に関わる病気や事故はないのです。考えると本当にありがたいですね。

ただ、あまり普通の人がならないような症状が出るので、何の病気か明確にならないことがたくさんありましたっけ。生まれてはじめてのじんましんは高校3年生の時でした。アイスを食べたら唇がたらこのように腫れ、全身に広がりました。かゆくて眠れない日が一週間続き、顔もじんましんの腫れが黒ずんできてブチのようでした。ブチのような顔が恥ずかしいのと高熱で、病院にもタクシーで行きました。毎回、注射を打っても治らず、とうとう入院しました。生まれて初めての入院でした。原因は分かりません。

今考えると何かのアレルギーでアナフィラキシーだったのかも知れません。一週間、点滴と検査の入院生活で退院した後、しばらく自宅で静養。実は、じんましんに罹る前にのどに黄色ぶどう球菌がついてしまい、喉が鮮紅色に腫れ上がりました。ものすごく痛い。鏡で見ても見事な腫れときれいな鮮紅色。あの喉の激しい痛みと鮮紅色は忘れられません。しかもお医者さんに診ていただいて、治ったと思ったら、またです。まさか続けて2度も同じ病気にかかるなんて!

⑪ 音楽が大好き

私は、小さいころから音楽が大好き。

特にピアノの旋律が好きでした。小さいころは、ベートーヴェンの「エリーゼのために」が聞こえると立ち止まって聴き入ってしまうほどでした。本当は、ピアニストになりたかったというかなるはずでした(笑)

父が、私が5歳の時に亡くなり家は大変だったので、ピアノを習うことはできませんでした。娘が生まれて感性豊かに育てたいと私も一緒にピアノを習い始めました。ちょっと遅いスタートとなりましたが欲しいと思った物は必ず手に入りますね!私は、今もピアノを続けて「リストの愛の夢」が弾けるようになりたいと少しずつ温めています。

最近、練習があまりできていないので上達具合もそれなりですが(笑)今は、ミュージカル キャッツのメモリーとショパンのワルツ第2番を練習中です。

⑫ ピアノは難しい曲ほど頑張れる!!

私は、生来負けず嫌いなのか、難しい曲ほどくじけません。逆に簡単にアレンジした曲を弾こうとするとめげます。

なぜかというと、どんな曲も完璧に弾こうとすると気張って間違えてしまったりするからです。難しい曲は「私がここまで弾けるようになってって嬉しい~すごい~」と思っているからかも知れません。間違えても「こんなに難しい曲を弾いているのだからじっくりね♪」と思えて気持ちが楽になるのです。だから、どんなに難しくても原曲を弾こうとするのはそのせいです(笑)

⑬ 声楽家を目指している娘

私は、娘に私の考えを押し付けてしまったところもあるのですが、何か自分の内面に持っているものを表現するような仕事につけるようになって欲しいと思っていました。

娘は、幼稚園の年長組の時からピアノを習い始めました。娘はピアノも好きなのですが、どちらかというと歌うことが大好きで4歳の時に劇団四季の『美女と野獣』をはじめて観て以来、家でも保育園でも歌を歌うようになりました。小学校では「いつも鼻歌を歌っている♪」と親子面談で言われました(苦笑)おかげ様で歌が大好きな娘は、現在、声楽家を目指して頑張っています。

自分を信じて夢を実現して欲しいと心から願っています。

⑭ 音楽家の魂をゆさぶる音

大好きな音楽を聴いていると本当に感動して涙が出ます。

心が休まるし、踊るし、エネルギーになります。「魂が揺さぶられる音を奏でる」音楽家のお仕事って本当にすごいなと心から思います。そのための楽器のコンディション、そして何より演奏者の繊細なコンディションって本当に大切ですね。

私は、施術の仕事をするようになり、音楽に携わる方のお力になりたいと思うようになりました。現在は、経営者の方、音楽家の方を中心に施術の活動を進めております。

⑮ 新しい仕事の出会い

勤めていた会社ではじめて早期退職の募集があり、私は会社を辞めたその先を考えて「やることがある」と思い会社を辞めることにしました。

退職後も専業主婦になるつもりは全くなく仕事をしようと思いました。せっかくご縁があって会社を辞めたので、全く違う世界の仕事を望みました。出会うものは健康に関することばかりでした。やはり、カラダが弱かったことが健康になるための道に導いてくれたのだと思います。

ネイルやエステも勉強しましたが私にはあまり合っていないように感じ、まず、リラクゼーションの「ヘッドセラピー」を学び、次に命の根源を感じるオステオパシー(クラニオセイクラルセラピー含)にとても惹かれ学びはじめました。

オステオパシーは今から140年以上も前にアメリカの医師アンドリュー・テイラー・スティル博士が『カラダは一つで繋がっている』という概念に基づき長い年月を経て現在でも全世界に脈々と受け継がれています。解剖学に沿った施術ですが、それは哲学でもあります。

そして、私もオステオパシーと2人の師に出会ったことで自分自身のカラダを理解しできるようになり本当に変わりました。ヘッドセラピーで学んだリラクゼーションとオステオパシーの手技を融合し、『リラックスしながらカラダの歪みが整い、気持ちよく心身のバランスが整う世界を実現したいと、リラックスオステオパシー®の施術で活動しております。

手当のような優しいぬくもりで癒す。やさしくて元気になるオステオパシーの施術を広めたい!!

⑯ つらい時こそ笑っちゃえ~

話は変わりますが、会社にいた時に出会ったラフターヨガですが、起業のお仲間を通じて再びラフターヨガと出会いました。

あの時の笑いの感動が眠っている私を起こしにやってきました。「人は幸せだから笑うのではない、笑うから幸せになるのだ」フランスの哲学者アランの言葉です。確かに本当の成功者っていつも笑っていますよね。心身健康でバランスのとれた生活に笑いは不可欠です。ストレス社会と言われる現代。施術の世界でもストレスとどう向き合うかがとても重要です。どんなにすごいテクニックで施術をしても、どんな凄腕の施術者が施術をしても、ストレスを感じるとあっという間にカラダは戻ってしまうのです。だからこそ、ストレスに向き合って心身のバランスを取ることが大切なのですね。

ストレスと向き合う方法はいろいろありますが、私はその一つに「はじめて会った人とも理由なく笑い合える」というラフターヨガを選びました。

そして、ラフターヨガ リーダーとティーチャー(リーダーを養成できる認定資格)としても活動しています。本来、人は笑うことが大好きなのだと思います。(たとえ、お愛想笑いでも効果はあります)目と目を合わせて(アイコンタクト)笑うとドーパミンという多幸感や意欲を作ったり感じたりするホルモンが2倍出るのです。

ご存知でしたか?アイコンタクトで笑い合ってドーパミンが2倍出るとは!

いつもより意識して横隔膜を動かすイメージで思いっきり笑ってみてくださいね。楽しく大笑いすればよいのです!

⑰ オステオパシーはどんな方に合いますか? 
そして ~心身健康への想い~

オステオパシーの特長は、痛みや不調の根本原因を見つけて施術することです。

  • 心身が健康になってパワー全開!業績アップをしたい方
  • 頭がすっきりしてひらめきが欲しい方
  • もっと軽やかに活動したい方
  • 夕方でも眼がすっきりしたい方
  • 軽やかに駅の階段の上り下りをしたい
  • 毎日熟睡して気持ち良く一日を過ごしたい方におすすめです。

日々、慢性疲労、腰痛、肩こり、眼精疲労や不眠、肩の不調(禁忌 感染症)、熟睡できない状態など不調は辛いですよね。

カラダの歪みは、例えば、いつも同じ角度でTVを見ている、足を掛けて座る、PC・スマホ作業で長時間下を向いているなどの習慣となっている姿勢がカラダに影響することも多いのです。

例えば、肩こりは辛いのは肩ですが、骨盤や内臓などに原因がある場合はその部分を施術することで肩こりを感じなくなります。『カラダは一つで繋がっている』というオステオパシーの概念そのものです。

天見 心のリラックスオステオパシー®の施術はお召し物のまま受けられます。ゆったりと手当のようにやさしい施術で痛みがなく、ほとんどの方が眠ってしまいます。

⑱ 最後に、、、

私の父も、最初は軽い胃潰瘍だと思っていたそうです。

仕事も忙しく、昔のことですから疲れを取る手段もリラックスすることが大切という認識も今のように重要視されてなかったと思います。今のように簡単に施術が受けられる時代だったら父も健在だったかもしれません。

カラダからの日々の小さなサインを感じたら、それはあなたに気づいて欲しいと発するサイン、そしてあなたを守るためのサインでもあります。

  ※未病は、病気と診断されていない状態ですが、不調の自覚があり健康体ではありません。

どうか忙しいからと見逃さないでください。「未病※」「病気」で名前がつく前に疲れをとってカラダをゆるめるところから始めて欲しいのです。

個性が違うようにカラダは十人十色。カラダもココロの状態も生活環境も異なり健康法も人によって違います。いつも元気でいられる、何かあっても元気になれるご自身の健康法やコツをぜひ、見つけていただけたらと思います。すべての人が健康で笑顔いっぱいになりますように。

心を込めて
サローネ・デル・ソーレ主宰
天見 心

RelaxOsteopathy

天見 心 のリラックスオステオパシー

リラクゼーションと、 オステオパシーの手技療法を融合し、リラックスしながら身体の歪みが整い、気持ちよく心身のバランスが整う世界を実現したいと思っています。

オステオパシ(クラニオセイクラルセラピー含)は1874年にアメリカ人医師のA.T. スティルによって「身体はひとつのユニット(人はつなぎ目なく繋がり身体・心・精神が一体となって表現されている )」と提唱された概念です。 そこへ、ヘッドセラピー等のリラクゼーション概念を融合し、痛みのないゆったりとした施術で緊張をほぐします。

初めての方でも眠ってしまうほど心地よい施術でありながら身体の歪みを整え、極上のリラックス効果で集中力とひらめきを養います。 心の状態は身体にも大きく関係するので一緒に向き合い、お客様の自然治癒力を最大限に発揮できるようにお手伝いさせていただきます。

Recommender

推薦者の声

健康は心体食から成ると云われますが、これらを統合し、網羅した施術をされ、又物事を見抜く心眼は確かなものが有ります。その反面、かもし出される雰囲気は穏やかで心地良い波動を放ち、施術をうける人の心を癒やし、信頼感と安らぎをもたらします。
心からこの波動の広がりを実践されている事に感謝する次第であります。

オステオパシー 師匠
榎本 雅道 先生
上部へスクロール